「声」
テリー中島作(2017年2月)
「ずっと一緒にいよう・・・」
「いいわ」
あれから何年になるだろう?震災の混乱の中で彼が彼女に語った言葉は、
遠く離れた彼の携帯電話からの声だった。それ以来、彼の深い優しい声は
いつも彼女のそばにあった。子供が熱を出して救急に行った時も、研究室
からの声は、「今、手が離せない。なんとかする」だった。上の子が家を
飛び出した時もそうだった。下の子が大会に優勝した時も、「これから会
場に向かっている」という彼の声だった。ずっと使っている同じ会社の携
帯は進歩して、もう今ではどこともなく語りかければ、彼の声がスピーカ
から返って来る。彼女は家を空けがちの彼の声を聞くたびに、声だけじゃ
なくて、なんで彼をこの場に運んでくれないんだろうと、そんなことを考
えたこともあった。
それから、子育てが終わって、二人にもやっと静かな時間が訪れた。昨年
の暮れに二人揃って新しいT3000携帯に替えてからは、二人はもっとよく
話をした。システムは何でも覚えていてくれて、彼の出張先からの声を、
家のどこかにあるT3000システムが伝えてくれた。
「今日も会議は大変だったよ。こちらは結構、暖かい。そちらはどうだい。」
「よかった。着替え、それでよかったのね。こちらは大丈夫よ。」
それはなんという事もないたわいもない会話だった。でもなんとなくそれが
心地よくて、何度かT3000にあの時の彼の声を聞きたいと頼んだものだった。
システムは、それを昨日のことのように再現してくれた。
でも、もう彼はいない。彼のT3000携帯が机の上に静かに置かれているだけだった。
彼が倒れた時、T3000に向かって早く救急車をと叫んだのを彼女はぼんやりと思い
出していた。システムは彼女の声を理解して、彼のバイオ情報と居場所を救急に
即座に転送してくれた。看病に疲れて病院から帰宅した合間にも、システムは彼の
暖かい鼓動を伝えてくれた。
でも、もう彼はいない。押し黙ったままの端末に優しく触れてみると、彼女には
彼のあの深い声が聞こえるような気がした。そして、なんとなく彼が優しく見守って
くれている気がして、そっと
「あなた」
と独り言を言って見た。
その時、部屋のどこかでT3000のスイッチが入った。
「ずっと一緒にいよう・・・」
それはメモリーバンクのかすかな遠い記憶をたどるような彼の声だった。